おそるべしアライグマのチャレンジ ‐ 残酷すぎる成功法則 ‐
常識ってなんだ?
今日ご紹介する本はこちら。
残酷すぎる成功法則
著:エリック・バーガー
「常識」といえば最近FACTFULNESS(ファクトフルネス)って本が流行ってる。まだ読んでいないけど、どこの本屋さんでも平台で見かける。この本も「常識を科学する本」なのだが、テーマにしているのは「成功」。ページ数としてはそこそこあって(357ページ)字も割と小さいのでボリュームはあるけれど、どの章も読みごたえがあって、納得感がある本だった。
成功するには根性が必要か?
日本人は、「成功するまで頑張る」みたいな根性論があるけれど、この本ではそういったことこそ考え直すべきと書かれている。例えば、
すべてを完璧にやることはできない。
成果に結びつかない活動に見切りをつけ、
その分の時間とエネルギーを、
成果を生む活動に”倍掛け”しよう。
(中略)
自分なりのストーリーと、時間・エネルギーの限界 -
それが、やり通すか見切りをつけるかを判断する基準だ。
という文があった。何かひとつの目標を決めて、その目標を達成できないとそこにこだわり、執着から抜け出せなくなる。そのうち自分が何を目指していたのかわからなくなるっていうのは本末転倒。この本では、時間とエネルギーの限界を見極めることが大切といっているが、それは「諦め」ではなくて、切り替えの重要性、そして切り替えて次の行動に移す重要性を言っているのだと思う。
切り替えの模範となるロールモデルとして「トロントのアライグマ」の話が書かれていた。面白いのでシェアすると・・・
アライグマの被害を阻止するあらゆる試みが、徒労に終わってきた。彼らは決して諦めず、人々がどんなに工夫を凝らしても、当然のように突破してきた。トロント市民は、ごみ箱のふたを固定したり、どこかに隠したりとあらゆる手を尽くしてきたが、効果はなかった。
(中略)
このいたずら好きなコソ泥の勝因は何か?アライグマの脳は小さいのに、私がこの章で論じてきた法則の多くを実践している。彼らの楽観主義は疑う余地がない。おそらく彼らにとって生ごみ荒らしは明らかに楽しいゲームなのだ。
(中略)
ごみ荒らしを阻止する最新式の試みに遭遇するたびに、いろいろな方法を試してくる。明らかに、彼らの”小さな賭け”は効率をあげていた。
つまりアライグマは「問題解決(彼らにとってはごみ箱突破)」をゲームと捉え、うまくいかなかったら次を試すを繰り返していて、落ち込むっていうことがないようだ。(脳が小さいからそういうことを考える領域がないのかもしれないが)きっと彼らの中には、「色々な方法を駆使した結果、ごみ箱を開けた時の喜んだ自分と仲間たちの笑顔」という超シンプルなストーリーが頭の中にあるんだろう。そして1つ試すときに自分が使うエネルギーと時間はこれくらいが限界って決めていて、それがダメだったらすぐにそれを試すってことが本能的にできているんだろう。
これってすごい!このアライグマの域までいってしまうと周囲から「あの人大丈夫なのかな?」って心配されるかもしれないけど、考えすぎる日本人はこの要素を多少多めに取り入れても少ないくらいなのではないかと思う。
結局成功とはその人の幸せ
「命にかえられるものなんてないよね」先日友人とこんな話をした。生きていくためにはお金が必要で、曲げられないプライドも必要。でもそれを手にしたり続けたりするためには、元気な体が必要。だから「無理」って思ったときはそこで一度立ち止まったり引き下がったりするのは全然OK。このブログでも何度か書いているけれど、私も一度は社会に出られなくなったひとり。元気な心と体さえあれば、人はそこから何度でもやり直すことができる。プライドを持つことは大切だけど、それよりもっと大切なのは、元気で笑えること。それを大切にしていけば、幸せって必ず訪れるものだと思う。
で、この本のタイトルになっている「成功」。成功ってお金じゃないと思う。これを言うと負け惜しみって感じがするし、今仕事を何も見つけられていない自分から言うのはなおさらそんな感じがするけど、でも私はもう二度と外に出られない生活は嫌だから、やっぱり笑顔で過ごせる生活が最優先。そしてちょっとくさいけど、そういうことが自分にとっての幸せだと思っている。
みんな黒
入学式くらいは・・・
今朝の新聞に
「入学式はなぜ黒一色なのか?」
という記事が出ていた。黒というのは、新入学生が着ているスーツのこと。私が大学に入学したとき(かれこれ20年以上前)は、みんなカラフルなスーツを着ていた。私も、水色のスーツを着ていたのを覚えている。でも確かに、ここ最近黒一色。紺色さえみかけない。今日の記事によると、入学後にスーツを着るのは就活くらいだから、入学式も黒にするという選択をしているよう。入学式って、「さあこれから」という時なのに、全員が黒というのは何とも寂しい気がする。
色には波動があるらしい
色というのは波動があるらしく、お葬式に黒を着る意味は、黒には波動がなく、ネガティブな性質の尊重だからだそうだ。逆に赤には強い波動、エネルギーがあるらしく、赤いお洋服を着ている人から感じるのは、強い力だったりエネルギーだったりするそうだ。そう考えると、「晴れの日」に黒というのはいかがなものか?
またみんな同じように黒を選んでいるのは、「同じものを着ている安心感」があるらしい。他の人から嫌われたくないという心理が働いているとか。そういうところで個性は出さないのに、SNSでは「いいね」がたくさん欲しくて常識から外れたことまでしてしまう人がいる。このアンバランスな感じ、どうにかならないのか?と思う。
敢えて違う色を着たい私
会社を辞め「もう組織には属したくない」と思っている私。組織を去る前に「組織には従った方がいいときもあるんだぞ!!」とお偉い方から言われたけど、「いえいえ、そんな生き方ばかりではありませんよ。」と言い返した。
私がもし今、新入学するという立場だったらどうしていただろう。恐らく黒いスーツを着ていたんだろな。さすがに水色は選べない。でも、そのことにずっと違和感を感じて4年間過ごし、違和感を感じたまま就職していただろう。
私は当時水色のスーツを選んで、周りも同じように自分の好きな色のスーツを着ていた。そういう時代にいたにも関わらず、組織に所属し20年になりやっぱり何か違うと思い、組織を離れた。「もう少し早く気づけばよかったかな?」と思わないこともないけれど、今気づいたからよしとしようと思っている。
10年後、あああの選択でよかったと思えるように、ここは焦らないで自分の道を決めたいと思う。
新聞って高品質な書き物
新聞を読む時間
読書会で「本はいいですよ」とか言いながら、新聞をまったく読んでこなかった私。だから、世の中のことを本当に知らない。お恥ずかしい・・・学生のころ「新聞を読まないと、社会人になれない」とか言われたけど、読まなくても20数年過ごしてきてしまった。でも、色々な方とのご縁があり、「会社」という枠を超えてお話する機会が多くなった今、世間を知らないということが恥ずかしいと思うようになった。(かなり遅いけど)なので、会社を辞めてから絶対やろうって思っていたのが
新聞を読むこと。
会社を辞めて10日が過ぎ、ちゃんとこの時間とれています。
母の知識は新聞から
70代も真ん中になった私の母。読書は全くしないけど、新聞だけは朝晩必ず読んでいる。そんな母は、やたら色々なことを知っている。「へー、どこで知ったの、それ?」ってことをよく話してくる。その知識のもとは、どうやら新聞らしい。読んでみて思ったけど、新聞ってかなり高品質な書き物。だって、限られた文字数で「ぎゅぎゅっ」と必要なことが書かれているんだから。
それに新聞って、大人から子供にまで読めるようなやさしさがある。だって紙面のあちこちに「子供向け」説明が書いてあるんだから。例えば今朝の新聞には、ブラックホールの説明が書かれていた。こういうやさしさ、無知な私にはありがたい。
読書離れも活字離れも進んでいて、情報収集はみんなスマホで済んでしまうようになった。でもやっぱり紙に書かれている文字を見るのはいい。それに、あの大きな紙面いっぱいに書かれている情報から、自分が必要とする情報をピックアップするっていうのも新聞ならでは。慣れない私は最初、端から端まで読もうとして、1時間くらいかかったけど、最近はぱらぱら~っと読んで、大切なところだけじっくりと読むようにしている。それでも読まなかった時より今の方が「最近のネタ」に事欠かないようになった。
自分の意見を持つということ
AIが身近になると、いらなくなる仕事がたくさんあるって言われているけど、そんな社会で生きていくために必要なのは、自分の意見を持つということだ。自分が持っている知識を右から左に流すだけなら絶対にAIには勝てない。だってそもそもあっちが持てる情報量とこっちが持てる情報量って、比較するまでもないんだから。だから情報量で勝つのではなく、自分なりの新しいものをアウトプットをすること。これがすごく大切になるはず。
ただ、アウトプットするにはインプットは必要。持てる情報量は勝てないとしても、可能な限りいい情報を取り込むことは大切。その情報として高品質なのは
新聞
なんです。さらさらっとページをめくって眺めるだけでも入ってくる情報はあるはず。ぜひお試しください。
どの経験がどこで使えるかわからない
なんでも仕事になる
自分が普段当たり前にやっていることが、「仕事」になってそれが「報酬」になるなんて思いもしなかったけど、会社という枠の外に出てみると、案外そういうことが身近にあることに気づく。
2か月くらい前に、家事代行サービスで成功された方のお話を聞いたが、その方も家事がビジネスになるなんて思ってもいなかったようだったし、しかも「家事をビジネスにするなんてけしからん!」とも言われたらしい。
上司から頼まれた仕事、部下に頼んでも一向に進まず、結局自分でいつもやっている仕事、こういう仕事って、自分のお給料には何も反映されない。早くやろうが、品質を高めようが、すべてできた当たり前と思われる。
正社員の場合は、目標設定して、定期的に確認して、それでお給料が決まっているのだろうから、その枠の中で仕事をするっていうのはありなのかもしれない。
でも、これからは仕事を作業として分割し、その分割された作業を高いクォリティーでやってくれる人が「会社」という枠を超えてでてくるはず。自分が当たり前としてやっている仕事に、他の人がやるのとは違う「価値」を付け、自分を売り込めば立派なビジネスになるだろう。そうやって社会が回っていけば、正社員とか非正規だとかそういうくくりはなくなるし、仕事の生産性とか品質も上がっていくはず。それこそがほんとの「働き方改革」なのではないだろうか?
枠にとらわれず、もっと自由に時間も仕事も選べるようになればいいなと思う。
会社を辞める前にやっておいた方がいいこと
焦るなと思っても焦るね
退職して1週間。新しいスーツを着た新入社員を見ると、「あー、春だ」と思う。フリーになって、何でもできる時間ができて、やりたいことをやっている毎日。お金にはならないものの、なんだかんだと予定が入って、暇はしていないんだけれど、やっぱり気になる「収入」のこと。幸い私は、住むところも食べるところも困らないから、この歳になってものんきにやっているけれど、そんな環境でも焦っている自分がいる。
さてさてこれからどうする?
という問いが頭を巡る毎日。
ありすぎる情報
ふと気づくとスマホの求人情報を見ている。明らかにこの時間が増えた。求人を探すということは、また組織に属するということ。フリーになったといっても、急に収入ができるわけではないなから、何かしら探さないとではあるものの、
これだと新しい組織探ししてるよね
ネットがなかったらどうなんだろう?週に1度新聞と一緒に入ってくる求人情報みたり、駅とかにおいてある「XXワーク」とかみるのかしら?とにかく今は、すぐにいろんな情報にアクセスできるから、とにかく振り回される。ネットから離れる時間を強制的に作らないと、会社を辞めた本当の意味がなくなるよなと感じる。
私はプロかアマか?
せっかく決めた新しい道。これから長く続けられることを見極めることが何より大切。自分は何が好きなんだろう?どんなことならひとり黙々と続けられるんだろう?そんなことを問いかける毎日。諦めずにながーく続けられることを見つけるのがひとつなんだけど、もうひとつ重要なのが、
これまで自分がやってきた経験
やってきた経験・・・なかなか出てこない。毎日何やってた?私。色々やってきたはずなのに・・・で、今私は、「辞める前にこれをやっておけば、今より不安が少なかっただろうな」と思っていることがいくつかあるので、今日はそのひとつを、「仕事を辞めようかな」と思っている方のためにお伝えしておこうと思う。
<環境を変える前にやっておいた方がいいこと>
- 1週間、自分がやった仕事をとにかく細かく書き出す(作業レベルで)
- 子供の頃の習い事を書き出す
- うまくならなくてもいいと思える趣味
まずはこの3つを書いてみること。最初の「自分のやった仕事を作業レベルで書く」これは結構重要。書き出した後は、その作業を自分がやるとどのレベルでできるのかって言うのも書いておくとよいかも。例えば・・・
- ビギナー
- アマチュア
- プロ
みたいな感じ。会社を辞めると、
「私って何やってきた?人に言えるものなんて何もない」
って思う人が多いと思うんですが、そんなことはない!!会社に1日8時間もいればみんな何かしらやっている。だけど会社にいたらそれは当たり前になっていて、自分がどのレベルでできているのかなんて考えもしないし考える必要もない。考えたところで使うところもないし、アピールするところもない。(ほんとは上司や会社が、そういうところを評価して、お給料に反映して欲しい。)
でも、会社の外に出たら、そのひとつひとつが自分のアピールポイントになってくる。会社を辞めなくも、これからは会社にいながら他の仕事もできるようになる時代。今から棚卸していれば絶対に損はないと思います。これ、リアルに会社を辞めた私が今思う旬な話です。
リアルに会社を辞めて新しいスタート
決断
4月1日。エイプリルフール。1年に1度嘘をついてもよい日。でもこれは嘘ではなく、私はリアルに会社を辞めて、1つの決断をしました。
「もう組織には属さないぞ!!」
1年契約の私は、今年も例年同様契約交渉をしたものの交渉が決裂。結局会社を去ることになりました。ここに至るまでは悩みに悩み、またまた心が折れる寸前までいきました。でも、自分がやってきたこと、自分の信念はどうしても譲ることができず、この決断にいたりました。
組織とか会社って、なんなんだろうなーと改めて考えさせられた2か月半。「辞めた」というところ1点で見ると、「組織の言うことを聞けなくなったヤツ」なのかもしれません。でも、会社だろうが組織だろうが、間違っていることは間違っている、そう貫いた自分は、ちゃんと自分でいられたと思っています。
本当の味方って誰?
苦しい時、古くからの友人は話を聞いてくれ、一緒に怒ってくれました。寒空で泣いていたら会社から駆けつけてくれました。そういう友に助けられたのはもちろんなのですが、今回私が自分の考えを貫き通せたのは、「第3の場所」で知り合あった方々の支えがあったからなのです。「第3の場所」とは、自分が開催する読書会を始め、自分が参加した読書会やワークショップ、神社巡り等。この4年間でそういった場所で知り合った方は、最初から「ほんとうの私」を知ってくださり、いつも認めてくださりました。そして今回、私が悩み苦しんでいた時には、何時間も話に付き合ってくれたり、駆けつけてくれたり、正しいことは何かを真剣に考えてくださり、意見をくれました。皆さんがそうしてくださったことで、「わたしがわたしらしく」いることができ、自分が正しいと思うことを貫き通すことができました。
本当の信頼とは
本当に信頼できる人。それは
「自分自身の損得ではなく、相手の幸せを第一に考えてくれる人」
人が究極の状態になったとき、その人の本質が顔を出すのだと思います。今後世の中は「会社」とうい枠を外して仕事をしていく働き方にシフトしていくわけで、そうなった時、一緒に仕事をする人は「本当に信じられる人」になるはず。だからその人の芯の部分っていうのがすごく大切になると思うのです。ちょっとしたことでボロが出て、「あの人あんな人だったんだ、がっかりだよね。」というようなことを言われる人間にはなりたくない!そんなことを誓って2019年度がスタートです。
会社は1つじゃないよね ‐ ちょっと今から仕事やめてくる ‐
シンプルなストーリーだけど沁みる
日帰りバス旅行の中で読みきれてしまったこの本。
ちょっと今から仕事やめてくる 北川 恵海
シンプルなストーリーだけど、心に沁みた・・・途中ほろりときてしまうところもあったりして。この本のタイトル「ちょっと今から仕事やめてくる」ってすごく直球だと思いませんか?。あー、こんな風に言ってみたい。
仕事と会社の関係
仕事はしないと生きていけない。だから会社に行くのは当たり前。上司や先輩から指示されたことはできて当たり前。上司の言うことは聞くのが当たり前・・・毎日同じ会社に行って、同じメンバーと顔を合わせて同じような仕事をやっていると、自分でも気づかないうちに視野が狭くなって、「おかしいんじゃないか?」と思うことすらなくなる。この本はすごくシンプルなストーリーだけど、「おかしいんじゃないか?」っていう気付きをくれる本だと思う。
自分の人生は誰のため?
この本は少し前に映画にもなったし、しばらく本屋さんの平台にもあったと思う。でも今なぜこの本を読みたかったかというと、それはもちろん
「ちょっと今から仕事やめてくる!!」
って言いたい気分だったから。稼ぐためには仕事をしなきゃいけない、だから今いる場所で頑張らないといけない、前半にも書いたように人は同じ場所・同じルーチンを繰り返していると、おかしいことに対して疑問も持たないし、変えようともしなくなる。でも、自分人生って誰のため?って考えるとそれは会社のためでも上司のためでもなく、
半分は自分のため、半分は大切に思ってくれている人たちのため
にあるのだと思う。嫌なことがあっても、慣れた場所を離れるのは寂しいし、その先新しい仕事が見つかるかも不安だし、だから多少嫌なことは我慢してしまう・・・という思考と行動に陥りがちだけど、そうすることで心が壊れてしまったらもったいない。
お金は必要、でも元気であればなんでもできるのだから、心や身体から悲鳴が聞こえたら、やっぱりその場は逃げるべき。一番悲しいのは、何に対しても「意欲」がなくなってしまい、何をしても「楽しくなくなる」ということ。私はそういう経験をしたから、もう二度とそうはなりたくないと思っているし、そういう人たちも増やしたくない。一歩外に出て、普段一緒にいる人たちとは違う人と一緒にいることで、視点が変わり考え方も変わるということを忘れないで欲しい(自分も含めて)と思う。