いつも心に太陽を~自分が自分でいるために~

自分が自分らしくいられるためにしていることを綴っています

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たかが...されど...

一度ついてしまったイメージ

就職活動でこの1ヶ月は色々なところに電話をしたりメールをしたりしている。2~3回くらいやりとりすると、その会社がどんな感じか、その人が大切にしていることは何か、だいたいわかるものだなぁと感じている。

言葉遣いがおかしいということは、どこの会社も当然ないものの、ルーチンワークとしてやっていると感じるところは多数あった。

仕事を求めて問い合わせや面接に行っているものの、私は「こちらも選んでるんだぞ」というキモチは忘れないようにしている。求職者に対する態度と、お客様への態度って、それほど大きく変わりはないだろうと思っているからだ。隣の席の人に優しくできない人が、困って電話をかけてくる人に真摯に対応できるわけない!というのが私の持論。だから、そういう会社に入らないためにも、選んでるんだ!というキモチは忘れないようにしている。

 

昨日、ある会社の採用担当者の方からお電話を頂いた。昨日の朝、応募辞退の連絡をしたのに電話がかかってきたのだ。その方は「何かお手伝いできることがないかと思い、お電話しました。これも何かのご縁だと思うので…」とおっしゃってくださいました。私がその言葉を聞いたときに感じたこと、それは会社の利益じゃなく電話してきてくださったのだろうなということ。私は今の自分の事情を正直にお伝えしたが、それでもその方は、一度面接に来ませんか?とおっしゃってくださった。

長く一緒に働いていても心通じないことはたくさんあって、悔しい思いもたくさんした。でも、会社を辞めてみて、こんな風に言ってくださる方もいるんだということを気づき、自分の視野が狭くなっていたことに気づかされる。

 

一度ついてしまったイメージを払拭するには相当な努力と時間がかかる。「たかが電話、たかがメール」でもこれで相手との関係が決まってしまうこともある。

自分の行動が相手にどう見えているのか、これって実は自分が一番わかっていない。

長く同じ仕事をしてきてしまった結果、私は知らず知らずのうちに傲慢オーラが出ていたかもしれない。だから新しいお仕事は、未経験だけどお客様と直接対面でお話できることをやろうと決めている。いつかどこかのタイミングで、自分の姿を振り返ること、これがいかに重要かを感じている毎日だ。

受け入れられない突然の別れ

交通事故で大切な人が亡くなるということ

池袋・三ノ宮と交通事故が続いている。池袋の事故でなくなった母子の父親のコメントが新聞に掲載されていた。また、写真も掲載されていた。「同じようなことが起こらないように」との願いから、写真の掲載をOKしたそうだ。

私の叔父も、バスの運転手だったが事故で突然なくなった。私の父とは違い、模範的な父親で子供からもとても好かれていた。うちの前に住んでいたので、何かあると飛んできて助けてくれた。たとえば、うちの玄関の上にハチの巣があり、私が刺されたときに飛んできてくれて、巣を落としてくれた。とてもマメな叔父だった。

そんな叔父が勤務中になくなったのはもう何年前だろう。叔父の末っ子がまだ中学生だったからもう20年くらい前になるんだろうか。

叔父は模範的な運転手で、事故は一度も起こしたことがなかった。そんな叔父が事故の日、高速道路でちょっとした接触事故を起こしてしまった。いつも冷静だったはずの叔父だが、その日はバスから降車してしまい、後ろから来た牽引車に撥ねられ亡くなった。即死だったらしい。

義理の弟に、それまで色々と相談にのってもらっていた母は、その日から全く声がでなくなった。叔母は、何日も号泣していた。

事故で人がなくなるというのはこういうことなんだと、あの時強烈なショックを受けた。

しかし、それからの生活が一転するのは加害者の家族も同じ。事故後の処理がどうなったのかは詳しく聞いていないが、裁判になり、補償がどれくらいになるのか等々が結構長い時間話し合いが行われていたような記憶がある。

 

池袋にしろ三ノ宮にしろ、事故を起こした運転手は高齢の方。周囲へのバッシングも起こるのかもしれない。確かに、家族が止められなかった、自分で仕事を辞めたり、免許を返せなかった、そういうことに問題があるのはもちろんだと思う。でも、今回の話をそれだけで済ましてしまっていいのだろうか?と思う。

技術的なことで解決できるのか?法律で解決できるのか?地域の取り組みで解決できるのか?簡単に言うことはできないけれど、超高齢化社会に向けて、車の運転についてはもっと根本的に、また早急に考えなければならない課題なのだろう。

ご高齢になられて、足が不自由だから車を使いたい、確かにそうだよなと思う。でも、車を使わなくてもよくなるような仕組みを、私たちが考えていかなければいけないんだろう。「こうなればいい」という具体的なことが書けない自分も情けないが、父も母も70歳を超えている私も、そろそろ真剣に考えなければならない。

その求人広告、本当ですか?

 

転職活動の壁に直面

会社を辞めて「起業する」と考えている私。この1か月でやっとやりたいことが見つかり(ほんとは辞める前に考えておけよって感じですが。)時間とお金が必要な状況になった。

「派遣」としての勤務が長い私。もう長く、アルバイトとかパートってやったことがないから、そちらの方面で仕事を探そうとするとコツがよくわからない。

先週からはこれまでやってきた「IT業界」以外でも探すようになったのだが、これがまたさらにハードルを高くすることになったのだ・・・

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 バイト求人サイトにある求人広告

最近、バイト求人サイトがいくつもある。「XXバイト」とか「XXトル」とか「XXナビ」とか。これまであまりちゃんと見たことがなかったが、このサイトを使ってみると、疑問に思うことがいくつもあった。

 

1.業種カテゴリが違う

教育関連なのに「イベント」のカテゴリが振られている。恐らく、どんなカテゴリが入れられても検索結果としてマッチするためだろうが、これでは正しい検索ができない。

 

2.同じ会社がいくつも登録されている

カテゴリやキーワードを入れて検索してみてまず見るのは「検索件数」。「おお、かなりあるな」と思って実際に検索結果の一覧を見てみると、そのほとんどが同じ会社なのだ。どこから応募しても、結局は同じ会社に辿り着くなら、求人広告は1つにするべきでは?

 

3.「今は人員達しています」とは?

求人広告が出ているから電話をかけてみると「その店舗は今募集がないんですよ。」と言われることがしばしば。「でしたらどうして求人が出ているんですか?」と尋ねると、「随時出していますので」との回答。「人がいない = 求人を掲示する」という方程式ではないのだろうか?

 

本当に仕事を探している人のために

ネットでの求人広告が信頼できなくなった私は、可能ならそのお店に行ってみるとか、まずは募集しているか電話で確認するかのいずれかをとることにした。ネットで応募せずに、まず一度相手とコンタクトするということは、こちらも相手を確認できる(どんな対応してくれるのか?とか、自分との相性は良さそうか?とか)ので、私としてはよい方法かと思っているが、本当にこれでいいのだろうか?

私は3月までいた会社で、人がいなくて本当に困ったことがある。上司に相談をしてものらりくらりと対応され、派遣会社に対してもどういったスキルを持つ人が、どれくらい緊急で必要かを伝えてもらうことができなかった。その結果、現場は疲弊していったわけなのだ。

優秀な人材がいて、本気で仕事を探しているはずなのに、そのマッチングができない。また、多少事情があったとしても(介護とか病気とか)パフォーマンスが高い方はたくさんいる。そういった人たちが働ける場所がスムーズに見つかる仕組みがあればと思う。

今朝、テレビで働き方改革導入後の大企業がどうなっているか?という特集をやっていた。週に10時間以上働くとNGのため、みんな工夫をしなければならなくなっているとのこと。来年からは中小企業にも「働き方改革」の法律が適用される。中小企業の方が、仕事が煩雑で、改善するのは大変なのではないだろうか?

でも、「仕事」をもっと細分化していけば、効率化できると思う。細分化すれば、事情があってフルタイムで働けない人たちにも仕事をお願いすることができるだろう。

求人広告から働き方改革の話になったが、働き方を変えるってみんなが本気で取り組まないと実現しないことなんだろうと思う。

モノの価値について(生活のたのしみ展に行ってきたお話)

おととい友人に誘われてこれに行ってきた。

「世界のたのしみ展」

seikatsunotanoshimi.1101.com

ほぼ日が主催するワークショップ。ほぼ日と言えば、私が知っているのは手帳。去年から手帳はほぼ日。薄い紙の質が気に入って2年連続購入。しかしそれ以外にはあまり知識なし。でも糸井さんには興味あるし、どんなものが売っているのか興味ありで即OKし行ってみた。

 

私が行ったのは初日。週の真ん中、平日の昼間にも関わらずすごい人!しかも女性ばかり。

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各ブースは、人が5人も入ればいっぱいになってしまうくらい小さい。でもそこに次から次へと人・人・人。販売されている商品の中で、私が唯一知っていたのは、この前ロフトで見つけて面白いなと思った「引き出しポーチ」というもの。ペンとかノートとかバラバラで持ち歩くの大変でしょ。だからひとつにまとめてしまったらいかが?というコンセプトらしいんだけど、ものすごい勢いで売れていた。あとで調べたら、この世界のたのしみ展限定デザインっていうのもあったらしい。ああ、だからひとりでいくつも持ってレジに行く方多数だったのね。納得。

 

引き出しポーチを始め、それ以外の商品も決して安くない。それでもこんなに人が来る理由ってなんだろう?と、友人の買い物中に考えてみた。(友人はお店で、目を輝かせて買い物していた。)そのひとつに、すごくニッチなところに注目して商品展開をしているということが挙げられると思う。たとえばマトリョーシカとか、チェコで見つけた台所雑貨等。

ブースに並んでいるものすべてがそれなりにお値段なので、私は手が出なかったけれど、欲しいと思っている方々にとっては

「今日しか買えない!!」

という思いが強かったようで、そういった方の熱気を感じる場所だった。

また、ブースには普段会えない店舗の店長さんだったり、版画作家さんだったりが来ていて、友人も「あ、XXさんがいる!」と言って嬉しそうに話しかけていた。

 

あの場に行って私が思ったこと。それは、どんなものでも必ず売れるチャンスがあるということ。マトリョーシカも、チェコの雑貨もあそこで売られているからこそ、それだけの値段が付けられるし、それでも売れるわけだ。同じものでも見せ方、売り方が大事。それはきっと商品でなく「人」でも同じ。

売れない売れない、と嘆くのではなくどうやったら売れるか?お客様は何を期待してどこに向かいたいのか?どうすれば満足して頂けるのか?それを考え、提供していくことが商売の原点だと思う。

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(この写真は、たのしみ展のものではありません。)

 

60歳で退職してもあと何年? ‐ 未来の働き方を考えよう ‐

1度の人生を2度楽しむ

今日は大好きなちきりんの本を紹介

未来の働き方を考えよう

ちきりん

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

 

装丁にもイラストで書かれているけれど、この本のテーマは「人生を1度で終わらせない」ということ。2015年に書かれた本だから、当時はまだ「働き方改革」とか「人生100年時代」という言葉がいまほどメジャーでなかったんじゃないかと思う。でもちきりんはこの本の中で「100歳まで生きるなら、早く頭の切り替えをした方がいいよ」というメッセージを投げかけてくれている。

 

60歳で退職してもあと何年?

昔は寿命が短かったから、60歳で退職してそこそこの退職金をもらって、孫と余生を楽しく過ごして死ぬっていう生涯設計をしていれば、だいたいの人が、「幸せな人生だった・・・」と思いながらこの世とさよならすることができただろう。でも今は平均寿命が男女共に80を超えているんだから、やっぱり考え方を変える必要があると思う。「定年後、いくらあったら足りる?」っていう計算をしているところをよく見るけど、ああいうのを見ると、正社員になったのは数年だけの私は「先がないわ」と思う。退職金もなければ、40を超えても収入がほとんど増えていないんだから。(さらに今は仕事模索中)こんな私が生きながらえるためには、ちきりんのいうところの

ストックからフローへの切り替え 

 っていうのが必要になってくる。ストックというのは、貯金をしてそこから老後の費用を捻出していくという考え。フローはその都度稼いでいくという考え。フローでいくとしたら、60歳の定年まで、会社に属してその後考えるというのでは絶対に無理だと思う。その理由は・・・

 

1.会社という枠から外れた自分に何ができるかわからない

会社にいて名刺を持っていると、いろんな人にちやほやされたりするけれどいざその名刺を捨て、自分という名前一本で売り出すとすると、相当な努力が必要。まず、自分で自分の価値がどれほどかってわかっていないわけだから、どこに売り出していいかわからない。それに、会社という看板を下ろした瞬間、これまで相手にしてくれていた人たちの対応が変わるのも事実。

 

2.収入源に耐えられない

何年も当たり前のように銀行口座にお金が振り込まれていた人たちは、収入がなくなったときにすぐに生活スタイルを切り替えられない。私の知り合いにも「今の収入がなくなったら生活できない」と言って頑なに転職しない人がいるけれど、収入があるってことは結構無駄もしているはず。つまり、何年もそういう生活スタイルを続けていると、定年後に急に収入がなくなったからあれやこれや我慢するってことに耐えられないだろう。

 

3.コミュニティーに参加できない

ここ数日、あらゆるところで「ガミガミ」いっているおじさんを見かけた。「ここはそういうところじゃないんだから、それがないのを理解してみんな使っているんだよ」っていう場所でも、あれがない、これが不便だと、スタッフの女性に詰め寄っていた。「あー、友達いないかわいそうな方」(本当に友達がいないかどうかはわからないけど)と思った。会社と家庭以外に「仲間がいる」ってこと。これは本当に大切。でも、退職まで一切そういったコミュニティーに参加せずにいた人が、60を過ぎてから参加できるのかというのは甚だ疑問。

 

40で一度リセットしよう

フローで生きていくためにちきるんがおススメしているのが、40でこれまでの仕事をリセットするという生き方。40代になれば、どんな人でも必ず色々な経験をしている。だからその経験を生かして、「これからの20年、何ができるか?」を考えるタイミングだとちきりんは言っている。そういう考え方であれば、私は今45歳。ぴったりのタイミングだ。仕事を辞めて次の仕事を探すのに、どうしても「IT関連」を探してしまっていたけど、「本当にそれを続けたい?」と自分に聞き続けたところ、どうも続けたくないらしい。自分でやらなくていいやと決めたとたんに心が軽くなったから面白い。

そうなってからの私は、じゃあいくらあれば生活できるんだろう?とか、どんな生活をしたいんだろう?と真剣に考え、それを実際にやってみた。そうしたらそれがとにかく心地いい。お金はないけど、心地いい生き方。これが幸せってことなのかもって思えるようになった。

人それぞれ、守らなければいけないものはたくさんある。だから仕事を辞めることがいいとは言わないけれど、自分がどうやって生活することが本当に心地いいのかは一度真剣に考えた方がいいと思う。

ちきりんにはいつも勇気をもらえる。ちきりん、ありがとう。

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書店対決、あなたはどっち派?

独自の意見をもっているちきりん

私はちきりんが好きだ。ちきりんを知ったのは数年前、鬱を患った時だった。動きたくても動けないあの時、「いろんな生き方があるんだから」と友人から紹介された。ちきりんは自分の切り口でばっさばっさといろいろなことを斬っていく文章を書く。読んでいてとっても気持ちいい。それに、ちきりんの文章は、感情ではなく、事実に基づくちきりん自身の考えが書かれているので勉強になる。

そんなちきりんの本、また無性に読みたくなって数冊買った。そのうちの1冊のことが先日ブログで取り上げられていた。

その本というのは

マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法

ブログのテーマは、ネット書店とリアル書店について。ちきりんは、リアル書店の方が新しい本に出会えるという意見なのだが、「ネット書店でも新しい本に出会えるよ」という人もいると思うので「異論を唱える」ってことでブログが書かれていた。

 

本屋さんのことでここまで書けるとは

ちきりんの文章を読んでいると、「この人とは議論したくないな」といつも思う。とにかく知識豊富。だから意見するときの「理由づけ」がすごい。ちきりんの文章を読むと自分の文章が貧弱さが悲しい。

ちきりんのブログにご興味がある方は2019年4月14日の記事を読んで頂きたいのだが、ここは私のブログなので、私も頑張って「どっちの書店派か?」を書いてみようと思う。

 

リアル書店

私はちきりんと同じく「リアル書店派」。理由は3つ。

1.本屋さんの特性を知るのが楽しい

読書をしていなかった頃、子供の頃からの読書好き、活字好きの友人に大規模書店に連れて行かれた。その時の「あ~、残念な本屋だ」という友人の言葉が今でもしっかり心に刻まれている。以前より読書するようになった現在、私は週に2~3回書店に足を運ぶが、「残念な本屋」の意味が理解できるようになった。

どんなところが残念かというと、書店のこだわりがない、色がないということ。こういう書店って、意外と大型店に多い気がする。広いフロアを何周しても手に取りたいと思う本がないのだ。反対に、小さな小さな書店であったとしても、その書店の「こだわり」が強く出ている本屋さんというものもある。たとえば、私の地元のエキナカ書店はフロア面積はそれほど広くないけれど、地元で有名な僧侶の本のコーナーがあったり、新聞各紙を貼って、その記事内で紹介している本を並べたりしている。こういう工夫がしてある書店というのは、「おもしろそう」と思える本、そして本好きなら知っている古き良き本は必ず置いてあるのだ。

私はそういう「書店リサーチ」をすることが楽しみだ。

 

2.装丁だけではわからないことがわかる

リアル書店のいいところってやっぱりここに尽きるのでは?って思うポイントが「装丁だけではわからないことがある」ということ。ネット書店でのレビューって、偏っていると感じることがあるし、恐ろしいくらい評価が高い場合は、「著者のファンが書いているな」と思うこともある。リアル書店に行けば、自分の目で見て、自分が今欲しいものがわかる。最近の本って、買ってもらえるような工夫がすごいから(帯とかタイトルとか、装丁の写真とか)ネット書店だとそれに騙されちゃうこともあるな~というのが自分の感覚。

 

3.出会いがある

お目当てな本があって書店に行って、その本を手にしても「あれ?」って思うこともある。そんな時、私はふらふらと書店を歩き回る。そうすると、「今自分が探していた答えはこれかも」って思う本に出会えることがある。ネット書店でもリンクをたどっていけばいいんじゃない?という意見もあるかもしれないけれど、やっぱりそれでは見える範囲が狭いと思う。

ネットの世界は「見よう」と思ってみる世界。リアルの場合は(ちきりんも書いていたけれど)目に入ってくるものが見えてくる世界。人って意識して見ていないところから見ていることもあるんですよね。だからそういった出会いを大切にするのであれば、やぱりリアル書店がおススメ。

 

本が売れないと言われているけど、実はリアル本屋さんって、いつも結構な人数のお客さんがいる。世の中には本を読みたい人はまだまだいるわけだ。そういう本好きが遠くても小さくても行きたいって思える書店が増えるといいなと思う。

ちきりんのいう「マーケット感覚を鍛える」ってことらしい。マーケット感覚を鍛える = 自分のブランド化に繋がるんだろうね。

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1つのことで満足しない人たち - 逆転の仕事論 -

ほりえもんの本

今日は私が読んだ初めてのほりえもんの本の紹介

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

堀江貴文

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

ほりえもん、なんとなく好きでなくて、これまで1冊も読んだことがなかった。この本はほりえもんの本というよりは、ほりえもんも認める「仕事を作る」人たち、イノベーターがそれぞれの過去を紹介している本。なので、アンチほりえもんにも読みやすいのではないかと思う。

 

仕事を作る人たち

表紙に書かれている8名の方々のこれまでの生き方が20ページづつくらいに書かれている。どの方もちょっと「特殊」な生き方をしている。

だけど、ほりえもんのコメントから引用させてもらうと

誰かに寄りかかったり、人にねだって仕事をしていない。

(中略)

興味があるのは、やりたいことの実現だけ。

誰の顔色も伺うつもりがないから、組織や常識に足をひっぱられない。

 という生き方、仕事をしている方々。仕事を辞めて思うこと。「やりたいことが何か?」がはっきりしていないこと。次の仕事に何するか?を考えるときにやってしまっているのは、やりたい仕事よりできる仕事を探すこと。収入を得るためには仕方ない?って自分に言い訳をしているけれど、そういう風にしていると本当にいつか仕事はなくなるんだろうなということを改めて感じている。

 

1点にとどまらず、とりあえず進んでみること

ここのところ書き続けているけれど、やっぱり1点にとどまらないってことが必要なんだろうなとこの本を読んでも感じた。世の中には自分の知らない仕事ってたくさんあるし、まだ出会っていない人もたくさんいる。だから、1つうまくいかなくて「あーあ」と思っている時間はもったいなくて、あの「アライグマ」精神でとりあえず次の手を試してみることが必要なんだろう。

chiaki-s.hatenablog.com

 

チャレンジしていない人よりチャレンジしている人と話したい

この本の中で佐渡島さんが書いていたけれど、組織から離れると周りは、個人を個人としてみて「何ができるか?」って判断してくる。これは本当にそう。実は私は、組織を離れていても、結構簡単に仕事って見つかるんじゃないか?って考えていた。(超あまあま)でも、実はぜっんぜんそんなことなかった。でも、今この状態で自分でやりたいことを追及して作り出してこそ頂いた「お金」こそが、自分で仕事を作っているってことになるんだろう。

組織を離れて3週間、毎日次の仕事どうする?ってことばっかり考えているけれど、組織にいた「明日が憂鬱」ってことがない今は、やっぱり辞めた選択は正解だったんだろう。

 

ほりえもんのことはちょっと好きになった。