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自分の常識は相手の非常識かもしれない - わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か -

自分の常識は相手の非常識かもしれない

今日の読書日記はこの本です。

 

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か

平田 オリザ

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

 

 

「なんで理解できないかな?」

「どうしてそういう行動するかな?」

誰もが一度は相手に対して感じたことがある感情かと思う。

もちろん私もある。

正直言って、毎日一度は思っているかもしれない。

でも、「それじゃあいけないよな」と思ってこの本を手にした。

 

「わかりあえないことから」

そもそもわかりあえないって思っているところから始めれば、

「どうして」とか「なんで」とかないんじゃないか。

 

演劇でコミュニケーションを学ぶ

平田さんは劇団の演出と戯曲を担当している。

また、演劇を通じて学生や社会人に「コミュニケーション」を教えている。

そんな平田さんが書いたこの本の中で最初になるほどと思ったのは

「ダブルマインドのコミュニケーション」について。

彼(平田さんの劇団の演出部にいる劇作家。

大変な才能の持ち主なのだそう。)の家では、

典型的なダブルバインドのコミュニケーションが頻繁に行われていて

「まあ勉強なんてできなくっても、身体だけ丈夫ならいいんだから」

と言われながら、通信簿を持って行くと、「何だ!この成績は!」と

突然怒られるような環境で育ったのだそうだ。

 

現在、この「ダブルバインド」は、統合失調症の原因の一つとも

考えられている。(これはあくまで仮説だが)。

このような環境に長く置かれると、多くの人が、

「操られ感」や「自分が自分でない感覚」「乖離感」などを

感じるようになると言う。その結果として引きこもりなどが起こりやすくなる。

私自身子供の頃は、

一貫して母が厳しかったのでこういうことはなかったけれど、

私が誰かを指導する時にこういうことしてしまっているなあと思った。

「なんでも言ってきてね」と言いつつ

「まだそんなこともわからないの?」と思ってしまう。

これじゃあ話もしてくうなくなるよね・・・とまず反省した。

 

最近の子供たちのコミュニケーション

そしてもうひとつ気になったところは、

最近の子供たちのコミュニケーションについて。

最近は兄弟が少ないので「ケーキ」というと「ケーキ」が出てくるらしい。

家庭だけではなく、学校でも優しい先生が子供の気持ちを察してくれる。

また友達同士でも「察することができない」といじめられるので

何も言わなくてもわかりあえる・空気の読める子達と一緒にいるのだそうだ。

 

ちょっと年齢が離れた人たちのと日々のわかりあいポイントがあることに納得。

社会に出てから突然わかりあえない人ともうまくやっていくしかないとか

説明しないと理解されないんだぞと言われても恐らく頭の中は「?」で

いっぱいなのだろう。

 

生まれ育った国よって違う

  • エレベーターで話しかけるか?
  • 女性に年齢を聞くか?
  • 電車で隣に座った人に話しかけるか?

日本にいたら「これが常識でしょ」と思うことも、

海外に行ったり、外国の方と一緒にお仕事をすると全く違うことが

常識になっていることは結構多い。

 

話し言葉の個性の総称を「コンテキクスト」というそうだが、

コンテクスト = contextは本来「文脈」という意味があるらしいが、

この本の中では

その人がどんなつもりでその言葉を使っているかの全体像

と思ってもらいたいと書かれている。

 

私は日々電話でお客様からの問い合わせを受け回答するという仕事をしている。

その中でとても大切になってくるのが、

お客様のゴールは何か?

とういこと。

今この状況を何とかしたいのか?

それとも今後に備えて知識を増やしたいのか?

等々。同じお問い合わせであったとしてもゴールは全て違う。

そのゴールをいち早く理解し、

お客様をゴールに導いてさしあげることが私の仕事。

しかしこのゴールの共有というのは簡単ではない。

ゴールを意識して電話対応を始めてから1年くらいになるが、

私はこれを意識したことによって、日々のコミュニケーションの中でも

「この人が今言いたいことは何だろうか?」と注意して聞くようになった。

そうしたことで以前よりは「わかりあえること」が増えてきた気がする。

頭ごなしに判断しないこと、まずは「相手が何を言いたいか」を

相手になりきって考えてみること、

そうすることで自分自身の心の負担が減るのも確か。

 

この本は、私がぼんやり感じていたことを見事に表現してくれていた。

わかりあえないけどわかりあいたい、

だからコミュニケーションする。

これは以前読んだ山田ズーニーさんの本にも書いてあった。

 

chiaki-s.hatenablog.com

 

わかりあえなくてもわかって欲しい!

という気持ちはいつまでも持ち続けたいと思った1冊だった。