いつも心に太陽を~自分が自分でいるために~

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書店対決、あなたはどっち派?

独自の意見をもっているちきりん

私はちきりんが好きだ。ちきりんを知ったのは数年前、鬱を患った時だった。動きたくても動けないあの時、「いろんな生き方があるんだから」と友人から紹介された。ちきりんは自分の切り口でばっさばっさといろいろなことを斬っていく文章を書く。読んでいてとっても気持ちいい。それに、ちきりんの文章は、感情ではなく、事実に基づくちきりん自身の考えが書かれているので勉強になる。

そんなちきりんの本、また無性に読みたくなって数冊買った。そのうちの1冊のことが先日ブログで取り上げられていた。

その本というのは

マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法

ブログのテーマは、ネット書店とリアル書店について。ちきりんは、リアル書店の方が新しい本に出会えるという意見なのだが、「ネット書店でも新しい本に出会えるよ」という人もいると思うので「異論を唱える」ってことでブログが書かれていた。

 

本屋さんのことでここまで書けるとは

ちきりんの文章を読んでいると、「この人とは議論したくないな」といつも思う。とにかく知識豊富。だから意見するときの「理由づけ」がすごい。ちきりんの文章を読むと自分の文章が貧弱さが悲しい。

ちきりんのブログにご興味がある方は2019年4月14日の記事を読んで頂きたいのだが、ここは私のブログなので、私も頑張って「どっちの書店派か?」を書いてみようと思う。

 

リアル書店

私はちきりんと同じく「リアル書店派」。理由は3つ。

1.本屋さんの特性を知るのが楽しい

読書をしていなかった頃、子供の頃からの読書好き、活字好きの友人に大規模書店に連れて行かれた。その時の「あ~、残念な本屋だ」という友人の言葉が今でもしっかり心に刻まれている。以前より読書するようになった現在、私は週に2~3回書店に足を運ぶが、「残念な本屋」の意味が理解できるようになった。

どんなところが残念かというと、書店のこだわりがない、色がないということ。こういう書店って、意外と大型店に多い気がする。広いフロアを何周しても手に取りたいと思う本がないのだ。反対に、小さな小さな書店であったとしても、その書店の「こだわり」が強く出ている本屋さんというものもある。たとえば、私の地元のエキナカ書店はフロア面積はそれほど広くないけれど、地元で有名な僧侶の本のコーナーがあったり、新聞各紙を貼って、その記事内で紹介している本を並べたりしている。こういう工夫がしてある書店というのは、「おもしろそう」と思える本、そして本好きなら知っている古き良き本は必ず置いてあるのだ。

私はそういう「書店リサーチ」をすることが楽しみだ。

 

2.装丁だけではわからないことがわかる

リアル書店のいいところってやっぱりここに尽きるのでは?って思うポイントが「装丁だけではわからないことがある」ということ。ネット書店でのレビューって、偏っていると感じることがあるし、恐ろしいくらい評価が高い場合は、「著者のファンが書いているな」と思うこともある。リアル書店に行けば、自分の目で見て、自分が今欲しいものがわかる。最近の本って、買ってもらえるような工夫がすごいから(帯とかタイトルとか、装丁の写真とか)ネット書店だとそれに騙されちゃうこともあるな~というのが自分の感覚。

 

3.出会いがある

お目当てな本があって書店に行って、その本を手にしても「あれ?」って思うこともある。そんな時、私はふらふらと書店を歩き回る。そうすると、「今自分が探していた答えはこれかも」って思う本に出会えることがある。ネット書店でもリンクをたどっていけばいいんじゃない?という意見もあるかもしれないけれど、やっぱりそれでは見える範囲が狭いと思う。

ネットの世界は「見よう」と思ってみる世界。リアルの場合は(ちきりんも書いていたけれど)目に入ってくるものが見えてくる世界。人って意識して見ていないところから見ていることもあるんですよね。だからそういった出会いを大切にするのであれば、やぱりリアル書店がおススメ。

 

本が売れないと言われているけど、実はリアル本屋さんって、いつも結構な人数のお客さんがいる。世の中には本を読みたい人はまだまだいるわけだ。そういう本好きが遠くても小さくても行きたいって思える書店が増えるといいなと思う。

ちきりんのいう「マーケット感覚を鍛える」ってことらしい。マーケット感覚を鍛える = 自分のブランド化に繋がるんだろうね。

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1つのことで満足しない人たち - 逆転の仕事論 -

ほりえもんの本

今日は私が読んだ初めてのほりえもんの本の紹介

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

堀江貴文

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

ほりえもん、なんとなく好きでなくて、これまで1冊も読んだことがなかった。この本はほりえもんの本というよりは、ほりえもんも認める「仕事を作る」人たち、イノベーターがそれぞれの過去を紹介している本。なので、アンチほりえもんにも読みやすいのではないかと思う。

 

仕事を作る人たち

表紙に書かれている8名の方々のこれまでの生き方が20ページづつくらいに書かれている。どの方もちょっと「特殊」な生き方をしている。

だけど、ほりえもんのコメントから引用させてもらうと

誰かに寄りかかったり、人にねだって仕事をしていない。

(中略)

興味があるのは、やりたいことの実現だけ。

誰の顔色も伺うつもりがないから、組織や常識に足をひっぱられない。

 という生き方、仕事をしている方々。仕事を辞めて思うこと。「やりたいことが何か?」がはっきりしていないこと。次の仕事に何するか?を考えるときにやってしまっているのは、やりたい仕事よりできる仕事を探すこと。収入を得るためには仕方ない?って自分に言い訳をしているけれど、そういう風にしていると本当にいつか仕事はなくなるんだろうなということを改めて感じている。

 

1点にとどまらず、とりあえず進んでみること

ここのところ書き続けているけれど、やっぱり1点にとどまらないってことが必要なんだろうなとこの本を読んでも感じた。世の中には自分の知らない仕事ってたくさんあるし、まだ出会っていない人もたくさんいる。だから、1つうまくいかなくて「あーあ」と思っている時間はもったいなくて、あの「アライグマ」精神でとりあえず次の手を試してみることが必要なんだろう。

chiaki-s.hatenablog.com

 

チャレンジしていない人よりチャレンジしている人と話したい

この本の中で佐渡島さんが書いていたけれど、組織から離れると周りは、個人を個人としてみて「何ができるか?」って判断してくる。これは本当にそう。実は私は、組織を離れていても、結構簡単に仕事って見つかるんじゃないか?って考えていた。(超あまあま)でも、実はぜっんぜんそんなことなかった。でも、今この状態で自分でやりたいことを追及して作り出してこそ頂いた「お金」こそが、自分で仕事を作っているってことになるんだろう。

組織を離れて3週間、毎日次の仕事どうする?ってことばっかり考えているけれど、組織にいた「明日が憂鬱」ってことがない今は、やっぱり辞めた選択は正解だったんだろう。

 

ほりえもんのことはちょっと好きになった。

並行してもいいんじゃない? ‐ マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法 ‐

いろいろやりたい、決められない

今日の本は

マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法

エミリー・ワプニック

 

マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法

 

どうやってこの本に辿り着いたか忘れてしまったが、この本のタイトルを見たとき

「これ、わたし!!」

って思った。いつの頃からか、私はやりたいことがたくさんある人間だと思うようになった。でも、どれも自分では「やりきること」ができていないなと思う。数年前に勉強したコーチング、10年以上細々と続いているヨガ、週に何度も通ってしまようなボルダリング、去年から始めた字の練習等々。あまり共通点がない。読んでいる本もバラバラ。最近は格闘技小説を読んだり、空手家の本まで買ってしまった。一体どこを目指しているんだろう・・・と自分でも思う。

でもこの本はまさにそんな私に「それでいいんです」と言ってくれた本。

 

そもそも「マルチポテンシャルライト」ってなに?

マルチポテンシャルライトとは、

マルチ → 多くの

ポテンシャル → 潜在能力を持つ

アイト → 人

 ということらしい。もう少し引用すると

マルチ・ポテンシャライト:さまざまなことに興味を持ち、多くのことをクリエイティブに探究する人。

何でも屋:さまざまな仕事を無難にこなせる人。器用で多彩な人。

ゼネラリスト:多様な、あるいは専門的でないスキルや趣味、習慣を持つ人。(中略)

「色々なことに興味を持っている人」という意味を持つ言葉にはいくつかあるけど、きっと著者にはしっくりくる言葉がないから作ってしまったという感じなんだろう。

さらにマルチポテンシャライトにはタイプがあるらしく、興味が同時に発生するタイプ、順次発生するタイプとあるらしい。

この本ではマルチポテンシャライトに当てはまる人たちが、幸せに生きる秘訣として3つをあげ、その3つについてセルフチェックできるようになっている。その3つとは

お金

意義

多様性

 この3つは、マルチポテンシャライトに当てはまる人でなくても、考えてみた方がいい項目かもしれない。

 

マルチポテンシャライトの4つの働き方

このセルフチェック後に、マルチポテンシャライトの4つの働き方 十人十色という章に入る。簡単にご紹介したいと思う。

ワークモデルは4つあるそうで

グループハブアプローチ

スラッシュアプローチ

アインシュタインアプローチ

フェニックスアプローチ

 でも著者はこの中から1つ選んでと言っておらず、「柔軟にさまざまにカスタマイズして欲しい」と書いている。こういう考え方こそがこれからの柔軟な働き方なんだろう。ちなみに私は、「スラッシュアプローチ」があっていそう。このタイプの働き方は、いくつものパートやアルバイトを掛け持ちその間を自由に飛び回るというものだそう。

私はこれまでひとつの企業に属して、さらに「サービスデスク(カスタマーサポート)」という仕事をするために契約してきた。派遣社員という働き方は、決められた作業に対して契約し、対価を頂く働き方。でも、そういう契約だったにも関わらず、あれやこれややりたかった私は、改善活動やらなにやら頼まれてもいないことをやっていた。まあそれが、自分の楽しい働き方だったんだろうと今は思う。

2年前、契約社員という雇用形態となり、担当する業務が固定されなくなった。それによって派遣社員の時より自由が与えられた。でも、与えられた自由の中で自分がやってきたことは、上司や周囲からの反対を受け、退職を選択するということに至った。

この本を読んで、私はこれまでとっても小さい箱の中に押し込められていたんだろうと思うようになった。これまでの経験から、同じ働き方であれば、応募してすぐにお仕事を頂けるかもしれない。でも、自分に合った働き方ではない場所にもう一度行くことはできないなと思っている。自分は甘い環境にいるから、こんなにのんきなことを言っていられるのかもしれないけれど、もしあと50年人生が残っているのであれば、ここで焦らず本当に自分が居心地がいい場所、楽しく過ごせる場所を過ごしたいと思っている月曜日の朝だ。

 

おそるべしアライグマのチャレンジ ‐ 残酷すぎる成功法則 ‐

常識ってなんだ?

今日ご紹介する本はこちら。

残酷すぎる成功法則

著:エリック・バーガー

残酷すぎる成功法則

「常識」といえば最近FACTFULNESS(ファクトフルネス)って本が流行ってる。まだ読んでいないけど、どこの本屋さんでも平台で見かける。この本も「常識を科学する本」なのだが、テーマにしているのは「成功」。ページ数としてはそこそこあって(357ページ)字も割と小さいのでボリュームはあるけれど、どの章も読みごたえがあって、納得感がある本だった。

 

成功するには根性が必要か?

日本人は、「成功するまで頑張る」みたいな根性論があるけれど、この本ではそういったことこそ考え直すべきと書かれている。例えば、

すべてを完璧にやることはできない。

成果に結びつかない活動に見切りをつけ、

その分の時間とエネルギーを、

成果を生む活動に”倍掛け”しよう。

(中略)

自分なりのストーリーと、時間・エネルギーの限界 -

それが、やり通すか見切りをつけるかを判断する基準だ。

という文があった。何かひとつの目標を決めて、その目標を達成できないとそこにこだわり、執着から抜け出せなくなる。そのうち自分が何を目指していたのかわからなくなるっていうのは本末転倒。この本では、時間とエネルギーの限界を見極めることが大切といっているが、それは「諦め」ではなくて、切り替えの重要性、そして切り替えて次の行動に移す重要性を言っているのだと思う。

切り替えの模範となるロールモデルとして「トロントのアライグマ」の話が書かれていた。面白いのでシェアすると・・・

アライグマの被害を阻止するあらゆる試みが、徒労に終わってきた。彼らは決して諦めず、人々がどんなに工夫を凝らしても、当然のように突破してきた。トロント市民は、ごみ箱のふたを固定したり、どこかに隠したりとあらゆる手を尽くしてきたが、効果はなかった。

(中略)

このいたずら好きなコソ泥の勝因は何か?アライグマの脳は小さいのに、私がこの章で論じてきた法則の多くを実践している。彼らの楽観主義は疑う余地がない。おそらく彼らにとって生ごみ荒らしは明らかに楽しいゲームなのだ。

(中略)

ごみ荒らしを阻止する最新式の試みに遭遇するたびに、いろいろな方法を試してくる。明らかに、彼らの”小さな賭け”は効率をあげていた。

つまりアライグマは「問題解決(彼らにとってはごみ箱突破)」をゲームと捉え、うまくいかなかったら次を試すを繰り返していて、落ち込むっていうことがないようだ。(脳が小さいからそういうことを考える領域がないのかもしれないが)きっと彼らの中には、「色々な方法を駆使した結果、ごみ箱を開けた時の喜んだ自分と仲間たちの笑顔」という超シンプルなストーリーが頭の中にあるんだろう。そして1つ試すときに自分が使うエネルギーと時間はこれくらいが限界って決めていて、それがダメだったらすぐにそれを試すってことが本能的にできているんだろう。

これってすごい!このアライグマの域までいってしまうと周囲から「あの人大丈夫なのかな?」って心配されるかもしれないけど、考えすぎる日本人はこの要素を多少多めに取り入れても少ないくらいなのではないかと思う。

 

結局成功とはその人の幸せ

「命にかえられるものなんてないよね」先日友人とこんな話をした。生きていくためにはお金が必要で、曲げられないプライドも必要。でもそれを手にしたり続けたりするためには、元気な体が必要。だから「無理」って思ったときはそこで一度立ち止まったり引き下がったりするのは全然OK。このブログでも何度か書いているけれど、私も一度は社会に出られなくなったひとり。元気な心と体さえあれば、人はそこから何度でもやり直すことができる。プライドを持つことは大切だけど、それよりもっと大切なのは、元気で笑えること。それを大切にしていけば、幸せって必ず訪れるものだと思う。

で、この本のタイトルになっている「成功」。成功ってお金じゃないと思う。これを言うと負け惜しみって感じがするし、今仕事を何も見つけられていない自分から言うのはなおさらそんな感じがするけど、でも私はもう二度と外に出られない生活は嫌だから、やっぱり笑顔で過ごせる生活が最優先。そしてちょっとくさいけど、そういうことが自分にとっての幸せだと思っている。

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みんな黒

入学式くらいは・・・

今朝の新聞に

「入学式はなぜ黒一色なのか?」

という記事が出ていた。黒というのは、新入学生が着ているスーツのこと。私が大学に入学したとき(かれこれ20年以上前)は、みんなカラフルなスーツを着ていた。私も、水色のスーツを着ていたのを覚えている。でも確かに、ここ最近黒一色。紺色さえみかけない。今日の記事によると、入学後にスーツを着るのは就活くらいだから、入学式も黒にするという選択をしているよう。入学式って、「さあこれから」という時なのに、全員が黒というのは何とも寂しい気がする。

 

色には波動があるらしい

色というのは波動があるらしく、お葬式に黒を着る意味は、黒には波動がなく、ネガティブな性質の尊重だからだそうだ。逆に赤には強い波動、エネルギーがあるらしく、赤いお洋服を着ている人から感じるのは、強い力だったりエネルギーだったりするそうだ。そう考えると、「晴れの日」に黒というのはいかがなものか?

またみんな同じように黒を選んでいるのは、「同じものを着ている安心感」があるらしい。他の人から嫌われたくないという心理が働いているとか。そういうところで個性は出さないのに、SNSでは「いいね」がたくさん欲しくて常識から外れたことまでしてしまう人がいる。このアンバランスな感じ、どうにかならないのか?と思う。

 

敢えて違う色を着たい私

会社を辞め「もう組織には属したくない」と思っている私。組織を去る前に「組織には従った方がいいときもあるんだぞ!!」とお偉い方から言われたけど、「いえいえ、そんな生き方ばかりではありませんよ。」と言い返した。

私がもし今、新入学するという立場だったらどうしていただろう。恐らく黒いスーツを着ていたんだろな。さすがに水色は選べない。でも、そのことにずっと違和感を感じて4年間過ごし、違和感を感じたまま就職していただろう。

私は当時水色のスーツを選んで、周りも同じように自分の好きな色のスーツを着ていた。そういう時代にいたにも関わらず、組織に所属し20年になりやっぱり何か違うと思い、組織を離れた。「もう少し早く気づけばよかったかな?」と思わないこともないけれど、今気づいたからよしとしようと思っている。

10年後、あああの選択でよかったと思えるように、ここは焦らないで自分の道を決めたいと思う。

新聞って高品質な書き物

新聞を読む時間

読書会で「本はいいですよ」とか言いながら、新聞をまったく読んでこなかった私。だから、世の中のことを本当に知らない。お恥ずかしい・・・学生のころ「新聞を読まないと、社会人になれない」とか言われたけど、読まなくても20数年過ごしてきてしまった。でも、色々な方とのご縁があり、「会社」という枠を超えてお話する機会が多くなった今、世間を知らないということが恥ずかしいと思うようになった。(かなり遅いけど)なので、会社を辞めてから絶対やろうって思っていたのが

新聞を読むこと。

会社を辞めて10日が過ぎ、ちゃんとこの時間とれています。

 

母の知識は新聞から

70代も真ん中になった私の母。読書は全くしないけど、新聞だけは朝晩必ず読んでいる。そんな母は、やたら色々なことを知っている。「へー、どこで知ったの、それ?」ってことをよく話してくる。その知識のもとは、どうやら新聞らしい。読んでみて思ったけど、新聞ってかなり高品質な書き物。だって、限られた文字数で「ぎゅぎゅっ」と必要なことが書かれているんだから。

それに新聞って、大人から子供にまで読めるようなやさしさがある。だって紙面のあちこちに「子供向け」説明が書いてあるんだから。例えば今朝の新聞には、ブラックホールの説明が書かれていた。こういうやさしさ、無知な私にはありがたい。

読書離れも活字離れも進んでいて、情報収集はみんなスマホで済んでしまうようになった。でもやっぱり紙に書かれている文字を見るのはいい。それに、あの大きな紙面いっぱいに書かれている情報から、自分が必要とする情報をピックアップするっていうのも新聞ならでは。慣れない私は最初、端から端まで読もうとして、1時間くらいかかったけど、最近はぱらぱら~っと読んで、大切なところだけじっくりと読むようにしている。それでも読まなかった時より今の方が「最近のネタ」に事欠かないようになった。

 

自分の意見を持つということ

AIが身近になると、いらなくなる仕事がたくさんあるって言われているけど、そんな社会で生きていくために必要なのは、自分の意見を持つということだ。自分が持っている知識を右から左に流すだけなら絶対にAIには勝てない。だってそもそもあっちが持てる情報量とこっちが持てる情報量って、比較するまでもないんだから。だから情報量で勝つのではなく、自分なりの新しいものをアウトプットをすること。これがすごく大切になるはず。

ただ、アウトプットするにはインプットは必要。持てる情報量は勝てないとしても、可能な限りいい情報を取り込むことは大切。その情報として高品質なのは

新聞

なんです。さらさらっとページをめくって眺めるだけでも入ってくる情報はあるはず。ぜひお試しください。

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どの経験がどこで使えるかわからない

なんでも仕事になる

自分が普段当たり前にやっていることが、「仕事」になってそれが「報酬」になるなんて思いもしなかったけど、会社という枠の外に出てみると、案外そういうことが身近にあることに気づく。

2か月くらい前に、家事代行サービスで成功された方のお話を聞いたが、その方も家事がビジネスになるなんて思ってもいなかったようだったし、しかも「家事をビジネスにするなんてけしからん!」とも言われたらしい。

上司から頼まれた仕事、部下に頼んでも一向に進まず、結局自分でいつもやっている仕事、こういう仕事って、自分のお給料には何も反映されない。早くやろうが、品質を高めようが、すべてできた当たり前と思われる。

正社員の場合は、目標設定して、定期的に確認して、それでお給料が決まっているのだろうから、その枠の中で仕事をするっていうのはありなのかもしれない。

でも、これからは仕事を作業として分割し、その分割された作業を高いクォリティーでやってくれる人が「会社」という枠を超えてでてくるはず。自分が当たり前としてやっている仕事に、他の人がやるのとは違う「価値」を付け、自分を売り込めば立派なビジネスになるだろう。そうやって社会が回っていけば、正社員とか非正規だとかそういうくくりはなくなるし、仕事の生産性とか品質も上がっていくはず。それこそがほんとの「働き方改革」なのではないだろうか?

枠にとらわれず、もっと自由に時間も仕事も選べるようになればいいなと思う。