いつも心に太陽を~自分が自分でいるために~

自分が自分らしくいられるためにしていることを綴っています

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あえて「字」を書くことについて

今年になって、ほぼ毎日ペン習字の練習をしている。

今はメールもあるし、LINEもあるし、

どこにいても伝えたいことは瞬時に相手に伝えることができる。

でも、私は「手紙」って絶対必要だと思っている。

 

2年か3年か前に、友人からクリスマスのメッセージカードが届いた。

私は、その1通のメッセージカードをもらうことがなければ、

今ほどその方と深く関わることはなかったのではないかと思う。

その方からメッセージカードを頂いた時に、

「ちゃんと返事を書こう」って思った。

これが手書き文字ではなく、

電子のテキストメッセージだとしたら、

返事はしたかもしれないけど、

その後も連絡を取り合うことはなかったかもしれない。

 

その方とは今でも定期的に手紙のやり取りをしているが、

その中で感じたのは、

書きなおすことができないものだからこそのよさがあるということ。

よく言われるのが、

「夜に書いたラブレターは翌日読むと恥ずかしくて送れない。

とかいうけど、

私は書いたものはその時にすぐ封をして読み直すことができないようにしている。

そうすることで、読み返すことがなくても、

「ちゃんと書こう」と思うからだ。

 

「ちゃんと書こう」とすると、

日々自分がいかに感情に任せてメールやLINEをしているかがわかる。

きっと発する言葉もそうなんだろうと思う。

手紙を書くとき、自分は本当はどう思っているのか、

これを読んだ相手はどう思うのだろうか、

そんなことをじっくり考える。

書いてみると、うまく表現できなかったり、

ちょっと日本語がおかしいかなと思ったり、

そんなことの繰り返し。

でも、そうやって時間をかけた手紙は、

ちゃんと自分の想いがこめられているなと思う。

 

その方との手紙のやり取りをしているうちに、

私は他の人にもあえて手書きのお手紙を書きたくなった。

そこで伝わるものは、アナログで文字数も限られているけれど、

でも、自分の本当の想いを伝えることができると思うからだ。

 

そして、手紙を書こうと思ったら気になりだしたのが、

「キレイな字かどうか」ということ。

日本人特有のことかもしれないけど、

字がキレイかどうかって結構気になる。

そして始めたのがペン習字の練習。

ペン習字の練習を始めたら、

目的がちょっと変わってきた。

キレイな字を書くためには、心が落ち着いていることが必要なんだ

ということ。

「一」という一文字をキレイに納得できるように書くためには、

ざわざわとした心の状態では書けないということ。

心を落ち着かせて、一字一字を丁寧に書くこと、

その練習をすると、誰かに宛てたお手紙は、

これまでより一層自分の心がこもったものになるのだなと思う。

 

「伝えようとしても伝わらない」と嘆くよりも、

「どうすれば伝わるのか」まず自分で考えてみることが必要だと、

字の練習を通じて思った。


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