誰でもか経験したことがある「家族」とのすれ違い - 家族シアター -
今日はこの本をご紹介。
家族シアター
辻村 深月
久しぶりの小説。先日の読書会でご紹介頂き、その方がおっしゃっていたいくつかの本のフレーズが気になってすぐに読みました。
この本は、家族にまつわる短編集。どのお話も、誰でもが感じたことのある「家族の距離感」が、すごくうまく表現されている。
喧嘩した後、ちゃんと「ごめん」という言葉を伝えなくても何となくいつのまにか元の状態に戻って、普通の生活に戻る。そんな関係だから、ほんとは伝えたいことも伝えられずに時間が過ぎてしまうなんてことも、誰でもが経験したことがあると思う。
そんな時に感じる気持ちが、小説の中の登場人物から伝わってきて、朝からうるっときてしまったこの本。
読み終わると、いつも当たり前のようにそばにいる家族の大切さが改めてわかります。
そして、ちょうどこの本を読んだ時に母とちょっとしたことで喧嘩。これまでは自分の気持ちをはっきり言っていなくて、よかれと思って母に言葉をかけていたけど、今回はちゃんと自分の気持ち、感情を伝えた。
「私だって辛いんだよ。わかって欲しい。」
事を大きくしたくないから、これまで私は自分の気持ちを抑えて、あまり感情をぶつけていなかった。でも今回はただただわかって欲しくて感情をぶつけてみた。すると、これまでにはなかった母の反応があった。
せっかく一緒に住んでいるんだから、できれば笑顔で過ごしたい。1日いろいろなことがあって、疲れていろいろなことを抱えて帰ってくる家だから、家族には甘えたい。そういう気持ちって誰でもあると思うけど、家族だからこそ「ルール」って必要なんじゃないかなと思う。甘えたいならちゃんと伝えること、どうして欲しいのかって言葉にしなきゃわからないもんだと思う。
今日手にした本は今の私の心をあらわす
最近ハイペースで読書会を開催している。今週も3名の方に参加して頂き開催。私の読書会は基本的に持ってきてもらう本はフリー。(たまに「テーマ」を出すこともありますが)だから毎回参加される方がどんな本を持ってきてくださるかがひとつの楽しみ。読書会は参加してくださる方と持ってきてくださる本で、その時間がいろいろな色に変化するから面白い。
私の読書会は、2時間を3つの枠に分けて進めている。
- 準備
- 集中
- まとめ
で、「1 準備」の時間で、かなりしつこく「なんでその本選んだの?」ということを聞いている。 読書会に来るまで、そんなことあまり深く考えていないというケースがほとんど。「前から読みたかったけど読む時間がなかったから」私自身こんな風に本を選ぶことが多かった。
でも面白いことに、読書会が終わるころには「なぜ今日自分がこの本を手に取ったのか」ということが見えてくるようになる。
「私今こういうことしたかったんだ」とか「今こういう気持ちがあるからそれを取り除きたかったんだ」等々。
家事、仕事、趣味であっという間に過ぎる1日の中で、自分と会話をしている時間って一体どれくらいなんだろうと思う。私が心のバランスを崩した時は、日々やらなければいけないことに流されて、それがだんだんんとこなせなくなってくる自分にさらにいらだって、人にも厳しく当たり、当然自分で自分も傷つけていたと思う。
ほんの少しの時間、いろいろなことを手放して普段とは違う空間に身を置いて、普段接点がない人と話をすると、それまであったもやっとしたものとか、重くて動かないものとか、追い立てられる感覚とかそういうのがなくなって「スッキリ」とした感覚になる。「読書会」というと、読んだ本を紹介する場なの?とか、そもそも何をする場なの?と聞かれることが多いけど、私は「自分と向き合って、吐きだして、スッキリする場所」だと思う。
「今日手にした本は今の私の心をあらわす」
自分の心って自分しかわからない。なのに自分自身が一番理解できなかったりする。自分のことがよくわからなくなった時、手にした本から自分の心にアクセスしてみるといいと思う。
<先日の読書会で集まった本たち>
時間もお金も無駄にしない読書方法をお伝えします
昨日、読書会を開催しました。
私自身が初めて読書会に参加したのは、2年半くらい前。初めて参加した時、「自分の気持ちをこんな風に話せる場があったのか!」と衝撃を受けたこと、今でも鮮明に覚えています。以来、ほぼ毎月読書会に参加。当時患っていた心の病気を完全に克服できたのは、恐らくこの「読書会効果」だと思っています。
私の読書のきっかけは、心の病気になったこと。なぜ自分がそういう状態になったのかを知りたくて本を読み始めました。病気が少し回復した頃からは、とにかくHappy Endになる小説ばかり読んでいました。どんなことがあっても前に進もうとさえしていれば、いつか幸せになれるということを本を読みながら自分に言い聞かせていたようなそんな気もします。
「読書会は参加するもので開催するものじゃない」と言っていた私がファシリテーターになったのは、読書したり読書会に参加している人生と、していない人生では、その人の人生が大きく変わると感じたからです。本を読んでいなかったら知らなかったことがたくさんあり、また読書会に参加していなかったら出会えなかった人がたくさんいます。「本を読むって自分の幅を広げてくれることなんだし、読書会っていろいろなことに気づくことができる場で、多くの人と出会えるところなんだから、そういう素敵なことを広げていかなくちゃ!」そう思ったのがファシリテーターになったきっかけでした。
10回以上読書会を開催し、これまではある決まった形で会を進めていました。でも少しづつ自分の中で読書会で皆さんにお伝えしたいことがはっきりと見えてきたので、最近は以前と違うやり方で進めています。この進め方にしてからというもの、参加者の方の満足度が違うのを実感しています。
参加者の方が作ってくださった時間を無駄にしないために、「参加してよかった!」と思って頂くための仕掛けを用意した読書会です。参加して頂いた方には満足して頂ける会だと思いますので、是非ご参加ください。
次回は7月3日(火)横浜駅近くの会議室で開催予定。あと2名募集しています。参加希望の方は以下からお申し込みください。
読書会で新しい本の読み方を知る(6/26 新宿近辺 夜間開催)
「本を読んだ」ってどういうことでしょう?
GWくらいから、そのことを調べ、考え続けています。
その中で出会ったこの本。
「本を読む本」 M.J.アドラー C.V.ドーレン
この本によると、読書には3段階あるということが書かれていて、著者は「積極的に読書しよう」と言っています。
積極的な読書???
- 本を借りたり買ったりすることで、もう積極的なんじゃないの?
- 読もうって意欲を持っているわけだから積極的なんじゃないの?
確かにそうですよね。でも、自分の中で「読み終わった」と思い本を置き、1週間してから「その本どんな本だった?」と人に聞かれたとき、どんな風に答えるでしょうか?
以前の私はこんな感じ
「うん、なんかおもしろかった」
時間もお金もかけたのに、「なんかおもしろかった」としか言えない。その価値を人に語れないということは、本当におもしろかったのか?と突っ込みたくなります。それにその程度の言葉にしかならないのに「積極的に読書した」と言えるんだろうか?そして人に語れることがないということは「読書そのもの」が「自分にとっておもしろいことなのか?」とさらに自分に聞きたくなります。
「本を読む」とは?また「本を読んだ」とは、どういう意味なのでしょうか?私は私なりの本の読み方というのを考え、それを「読書会」という場でお伝えしていきたいと思うようになりました。
というわけで、もう開催日が近づいていますが、6月26日(火)19時より東新宿にて読書会を開催します。「短時間でも深くたっぷり本を読める読書会」です。本を1冊(オススメは目次付きの本)と筆記用具を持ってきて頂くだけでOKです。参加費その他は、下記のリンクからどうぞ。
心を動かすツボはどこか?
人の心を動かすツボ
誰かに自分の想いを伝えたいとき、理解して欲しい時、わかって欲しい時、どうすればいいんだろう?若い時は、相手が喜んでくれるだろうと思うことを、自分を犠牲にしてでも「やってあげて」いた。それでも気づいてくれない相手にイライラしたり、悲しんだり、器用じゃなかったなあと、人生半分過ぎたところでわかってきた。
誰かの心を動かすというのは、その人が持ってる「ツボ」を探すことが大切で、それが単に「喜ばせるツボ」だけではないということに、昨日ある経験で気づいた。
私は気になる人ができたら(男性も女性も)割とその人のことが頻繁に頭に浮かぶので、相手にも「自分のことを思いだして欲しい」と思ってしまい、思い出してくれていなかったり、相手から誘ってくれたりということがないと「あの人は私のこと、気にも留めていないんだ」とふてくされたり落ち込んだりする。だけどこれはあくまでも自分ものさしで、みんながそうじゃあないんだということを今さらながらに気づかせてもらった。
人にはそれぞれ「ツボ」があって、「あの人には負けたくない!」という競争心もそのひとつのツボ。絶対に負けないと思っていた相手が、予想以上の結果やパフォーマンスを出したりすると、その相手のことを急に意識して、自分にも喝を入れたり。そういう形で人の心に残り、思い出してくれて、「また会いたい」と思ってくれたら、それはとっても嬉しいし、そういう繋がりって一生続くんだろうなと思う。
だけどこのためには、自分も「日々精進」が必要なんですけどね。
得より損に反応する脳 - 感情と勘定の経済学 -
「どうして選んでしまったのか?」という後悔をしないために
今日はこの本をご紹介
感情と勘定の経済学 友野 典男
この帯にもありますが、「なんでこんなの買っちゃったんだろう」は必ず誰でも一度はあるはず。このなぞは「行動経済学」を知ると解けるかもしれません・・・
システム1とシステム2の存在
なぜ「後悔」がうまれるのか?と言うと、人にはシステム1とシステム2というものが存在。そのシステム1 = 直感 、システム2 = 論理的思考と言われていて、「後悔」が起きるのは、システム1が作動中に購入の選択をしているからということ。
システム1は例えばこんな時に作動。
- タイムセール
- 閉店セール
- いまなら5割引き広告
あー、あるある。
そもそも人は「得より損」に反応するようにできている。損をしたと感じた時の失望感は得をしたときの満足感より2~2.5倍の失望感があるとか。食べ放題で「もとをとらなきゃ」という感情もここからきていて、「この金額を払ったんだから損したらもったいない」と思うわけです。
しかし!一呼吸して考えてみると、食べ放題で動けなくなるほど食べたり、飲み放題で泥酔するほど飲むことが本当に損をしなかったことになるのでしょうか?その後お腹が痛くなったり、翌日二日酔いで苦しい思いをすると、「あー、なぜあんなに食べてしまったんだろう」とか「もうお酒は飲まない!!」とか、楽しかったはずのあの時間のことを忘れてしまいますよね。
自分が何かを選択しようとした時、一呼吸おいてお金の損得だけではなくもっと広い視野を持って「その選択」を考えることって必要なんじゃないかなと思います。そして、もし自分の選択に後悔しそうになったとしても、それを選択した時の気持ちを思い出して、「私はこれを買った後、XXXっていうことを楽しみにしてたんだよな」と自分の感情と向かい合うことが大切かと思います。それに、自分が選択したことに後悔しつづける人生より、「選んでよかった!」と思える人生の方が幸せ感は何倍にもなると思います。
行動経済学、他にも心理と行動の関係についていろいろとあるのですが、それはまた別の本でご紹介したいと思います。
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「伝える」をテーマに読書会をします。
必要最低限に厳選
今週のお題「カバンの中身」
去年の私、カバンの中身は
- 普段使うもの
- あったらいいなと思うもの
が混在。
今年の私、カバンの中身は
- 毎日使うもの
に厳選。
- お気に入りのさくら色ataoの長財布
- 数年前浅草で購入した印伝の小銭入れ
- 近沢レース店で購入したレースのポーチ
- 母手作りの化粧入れ用オーガンジー巾着
- 富士山柄ティッシュケース
- 赤い皮のカバーをつけたピンクのXperia XZ1
- 今読んでいる本が必ず1冊
必ず使うものしか入れなくなったカバンはかなりスッキリ。そしてもっとスッキリしたい日は、お財布をコンパクト版に変えます。荷物が軽くなると、行動しやすくなります。どこまでも歩ける気が(ちょっと大げさ)します。
ちなみに、私のバックが小さくなった理由はこちら。